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Andy Warhol

  • 執筆者の写真: TENTEKO
    TENTEKO
  • 2018年7月20日
  • 読了時間: 2分


今回は、アンディ・ウォーホルについて書きました。ウォーホルはポップアーティストとして有名です。

彼は、1928年にアメリカで生まれました。幼い頃から体が弱く、太陽光アレルギーでした。高校生のときに父親を失い、アルバイトをしながら通いました。大学は、カーネギー工科大学で広告芸術を学び、卒業してアートディレクターズクラブの賞を受賞し、商業デザイナーとして成功しました。

32歳の時、ファインアートの世界に入ります。最初はアメリカンコミックから発想した作品を制作していましたが、リキテンシュタインの絵を見てからはやめてしまいました。そしてキャンベル缶やお札をモチーフにします。2年後、今度は彼の代表手法とも言われる、シルクスクリーンの作品を制作するようになります。彼はマリリン・モンローや毛沢東などの有名人や電気椅子など、アメリカを象徴する文化などを取り入れながら作品をつくっていきました。

大量消費の文化、アメリカに合わせたシルクスクリーンという印刷の手法。

そしてウォーホルはメディアにも露出するようになります。毎回ちがうカツラを身につけます。彼は大量消費などのコンセプトに合わせ、自身も、個性は必要ないと考えるようになり、このような行動をとっていたといいます。

そしてファクトリーと呼ばれる、アトリエに近いスペースをつくります。ここは、誰でも出入りできるものでした。そのファクトリーによく出入りしていた女性に銃殺され、彼の人生は終わりを迎えます。

死後、ファクトリーの中から彼の作品や大量のガラクタが発見されます。彼はカツラや作品だけでなく、レシートなんかも大量に残していたのです。

ウォーホルは、美術アーティストでしたが、スターのようでした。そして人々の考え方に影響を与えました。彼から学べるのは、アーティスト自身も作品とリンクしている必要があるということです。人々は、作品だけでなく、その人自身までも見ているということが顕著な例だったなあと思いました。



 
 
 

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